この文書は、2007年度岩教組和賀支部教研進路部会で発表したレポートである(あえて、団体名を略称とした)。先日、とある場所で、講演会を聞いた際に、現在の「キャリア教育」について、批判した上で、提案されていた方がいらしたので、「キャリア教育」も成熟期に達してきたのかなと思い載せてみることにしました。
実際、教育界は、他の意見を批判的に述べるとあまり、よく思われないという世界かな?と思われるので、載せるのはどうかと思いました・・・・。
学校における「進路指導」について
「キャリア教育」一考察

古舘 裕之
1 はじめに〜「進路指導」と「キャリア教育」〜
 「進路指導」で「キャリア教育」ということばが、使われもう数年が経とうとしている。その割には、なかなか浸透しにくい「キャリア教育」という用語。現在、進行中の「指導要領」の改訂でも、各教科も含め扱われる可能性も否定できない。『「キャリア教育」とは、果たしてなんぞや?』この疑問、実に難しい問題である。よって、このレポートは、あえて、「キャリア教育」を否定的に捉え、その本質に少しでも迫ろうとしている。
2 現場の混乱
 そもそも中学校における「キャリア教育」への待望論・期待論は、『「進路指導」は、「出口指導」』というかつての偏った指導から、生徒の将来をトータルに見て、その生徒にあった生き方を探る指導「生き方指導」にある(この意味においては、なぜか、「道徳教育」の目標や、かなり前にはやった「全人教育」などにも似通った気もする)。
 日本人が得意な「総論的は正しく各論が不足している」というものである。かつ「キャリア教育」が指すことがあまりに、広範囲のことでもあり、かつ、概念的な感じがぬぐえないのである。特にも、各論となると、どこまで何をやるべきことか、また、何が正しいことかが今ひとつつかめないのである。
 「キャリア教育」を正確に説明するには、この分野を研究している人でなければ説明することは難しいという問題がある。(そして、その説明する側も、この「キャリア教育」について多少、分かる人や強い興味がある人でなければ、説明さえする起きないのが現状である。)
 質問に『「キャリア教育」は、「進路指導」とどこが違うのか。』というのがあるが、ある意味で、大事な質問であり、ある意味で愚問でもある。
 そんなことから、教育現場では、この「キャリア教育」ということばが一人歩きをしまい、時には学校ではエセ解説者まででてしまうので、混乱を極めている。特にも、文科省では、この「キャリア教育」に小中高と連携して(まで)取り組め(予算も組み)といっているものであるから、下手をすると論理もさておいて、成果を求めたりするものであるから現場はさらに混乱をする。なぜなら、先ほどの質問と同じ。『「キャリア教育」は、「進路指導」とどこが違うのか。』という質問に確かな答え(法的な裏打ちや学説的な裏付けが未熟である)がないからである。
3 キャリア教育を巡る周囲の期待
 「キャリア教育」=将来を見越した「生き方指導」を行うことだというと、およその人は、異論を唱えることはないであろう。数人の先行する学者や役人が、このようなものであると全国各地を駆けめぐり、唱えて歩いているというのが現状である。文部科学省も「キャリア教育」は、キャッチフレーズをあげて、分かり易く話をしている。この宣伝効果もあって、「キャリア教育」は、あたかも、日本の教育を良い方向に変えるものとして現れてきた感がある。
 そもそも、「キャリア教育」は、なぜ出てきたのだろうか。まずは、「キャリア教育」という言葉はアメリカからきたものである。そして、そもそもあった日本での造語「フリーター」と、イギリスでできた言葉「ニート」の増加は、日本にとって1990年代の日本にとっては深刻な問題となる。90年代の平成不況は、産業構造の変化をうみ、雇用形態の変化、さらに、勝ち組、負け組をうんだ。特にも、負け組は、再起不能な状況となっているとおり、その増加は、若年層に顕著であった。
 そもそもこの問題は、産業構造の変化と雇用の形態に大きな変化が起こったことにある。不況下では、リストラクチャー(再構築)という名のレイ・オフ(首切り)とアウトソーシング(外注)が当然のように行われていた(日本を代表する大企業の採用抑制がふつうに行われていることであった)。しかし、そのような企業の姿勢に批判が向かず、企業戦士になれない生徒・学生を育てる教育に批判が集中していた。そして、不況下においても雇用形態の変わらない公務員に対しても批判も相まって批判が強くなっていることも否めない(確かに、我々は、雇用形態の変化を知らなすぎるという問題は、当たっているが・・・)。
 そして、高等学校のリタイア(中退・進路変更)率の高さも批判を高めた(全国の進学率が平均98%もある日本であたる批判?高校生の犯罪率の高さへの批判に似ている)。
 そのなかで、「キャリア教育」とは、「キャリア」教育であり、小中高・大学の間、企業・産業界との間の橋渡し的な役割を担った教育の在り方に本来の意味を求めて(華々しく)登場してきたともいえる。 
4 「職場体験学習」
 90年代は、産業構造の変化が大きく、学校と産業界との乖離もあり、その面で連携が大切だと言われた年代でもある。(「総合的な学習の時間」とともに、いわゆる学習形態が「机の上の話から現場へ」と移る時代である。(詰め込み教育への批判))その中で、90年代の中盤から「職場体験学習」が中学校で行われ始めた。また、90年代は、少年による凶悪犯罪の増加したころであり、いわゆる大人への無責任な責任論が言われ始める。そういうことも相まって、「職場体験学習」は生徒が、責任ある大人へのステップとして扱われるようになる。または、責任ある大人へ生徒(時には、学生)をアクセスさせる、預ける行事となる。それは、近年では、複数日にわたる(中学校では5日間を目標)としたのものトライアルウィークなど取り組んだ自治体の影響が大きい。
5 構造改革から「人間力」へ
 90年代から2000年代は、大企業や都市銀行が倒産したりする経済危機が訪れ、否が応でも、改革を迫られた。それは、企業においてもそうであったし、政府もそうであった。政府は、他の先進国からの要請もあり、未曾有の金融危機に陥らないような金融支援や構造改革を行わざるを得なかった。政府が負け組をつくったと批判される理由は、あえて、法律改正してまでも、テンポラリー(一時的)な雇用を増やし、企業がつかいやすい人材だけを雇用させたことにある。勝ち組には、やさしく、負け組には厳しかった。
 政府は、その中で「人間力」ということばをつかい始める。理想とする人間像を「人間力」を高めた人間とした。これらは、「若者の自立・挑戦のためのアクションプラン」などにもあらわされ、各省庁に係る具体的な項目と予算措置がなされていく。
 文科省は、そのなかで、「人間力」と指導要領で示している「生きる力」を関連づけて捉えている。そして、この「人間力」を高める指導として「キャリア教育」をあげ、進路指導との関連させいる。
 ここに、「キャリア教育」と指導要領との法的な根拠を求めている。しかし、現段階で法的に、または、理論的に「キャリア教育」を行う根拠となるか問題が残る。
6 最後に
 「キャリア教育」を否定的に見て、その本質を探るという試みでレポートを書いてみた。個人的には、決して、「キャリア教育」に対して反対という意味ではない。やはり、総論には賛成である。しかし、各論となるとどうであるか疑問である。
 近年では、進路指導の分野のみならず心理学者の各論が出始めている。バラエティーに富んだ多くの学説がでて本屋をにぎわわせている。教育学の世界は、学者同士の学説が整理されずに出され、いつの間にか流行が終わると終わるという独特の世界を作り出している。通常、学説は、ある意味で否定的にものを見ることで、整理されていくものであろう。これがないのが、教育学の世界である。
 実際、各論を考える上で、何がこの「キャリア教育」という分野を突き動かしたのかを考える必要があろう。それは、必ずしも、教育界からの強い要請ではなく(私は、強く要請していましたという人がいるでしょうが…)、産業界からの要請であった点である。また、政治的にも揺れ動いているなかで誕生しているという点も忘れてはならない。
 また、法的な根拠をどこに求めるかは、現在はっきりしない。これは、例えば「職場体験学習」はどの学校でもしなければならいか、どれだけのという問題にもなっている。学校にお任せしますと言われても、現場は、混乱してしまうのである。
 「進路指導」が「キャリア教育」というものというものにとって代わるには、さらなる整理が必要である。
*追記 2009/3/16,210/02/10
 このレポートは、2007年度のものであり、今年度発表された「新指導要領」の内容は、踏まえていない。「新指導要領」では、「キャリア教育」についての記載 (高等学校では、ことばそのものが、小中では、それに関する記述が)があり、法的な根拠も付け加えられている(「指導要領」にどれだけの法的拘束力があるかの議論はさておいても)。
 ついでのついでに・・・。
 「コミュニケーション能力」が高いと、現在のように、第三次産業に就く人が多い世の中では、より安定した職業、また、高い収入を得やすいのではないだろうか。教育界は、そういった現状を踏まえて、そういった、コミュニケーション能力をできるだけ開発していく研究をしていく方が、大切なような気がする。
 ともあれ、「資本主義」の日本において、この経済システムをしっかり理解させ、どのように生きるのがよりベターな選択なのかを考える教育でないととも思うのだが・・・。最近の派遣切りなどを見ても、そうなのだが・・・。
2010.03.08追記
 現在の「キャリア教育」を批判的に扱っている本です。私の考えと最終的な結論は違いますが、かなり整理された内容だと思います。↓
 本田由紀「教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ」ちくま新書 2009年
 あと、「キャリア教育」を語るには、少なくとも、ドラッカーだけでなく、マズローの本くらいは読んでから、ご教授くだされ…
 アブラハム・マズロー「完全なる経営」 日本経済新聞社 2001年

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