ブログから「復興への思い」
  震災後、復興に対する思いをブログにいくつか書いていますので、そちらを載せてみます。勝手な思いですが…
3月27日
 
 今日は、朝のフジテレビでは岩手出身の「後藤新平」を取り上げていました。
 話題になっているのは、彼が関東大震災後の帝都復興計画」の「内務大臣兼帝都復興院総裁として震災復興計画を立案した (ウィキペディアから)」人物です。
 
 さて、政府や自治体が中心なり「復興計画」をこれから立てていって欲しいのですが…
 ずばり申し上げたいのは、いくら、今までが一次産業が目立つ地域だからといって、それをメインにして欲しくないことです。
 豊かな自然、水産業等をとりいれた第三次産業の発展をメインにすることです。
 次の世代を担う子供たちが、その土地で生きていける産業を組み替えるのではなく、抜本的に作り上げることこそ必要だと思います。

 で、発案。
 三陸沿岸に「ミニ新幹線構想」などどうでしょう。
 盛岡から、つなげるなどみみっちい発想でなく、
 仙台から八戸を海側で出つなげる、将来は北海道にもつながる…
 当然、東京からもダイレクトで電車が通る…
 しかし、全部の線路が「標準軌」のみだと、貨物などの物流が滞るので、ミニ新幹線で、3つのレールをひく。
 今までのJRだの第三セクターだのいっていないで、この際、大きく鉄道が壊れているので、とりあえず、国で鉄道をひいて、運営はJRにまかせる。
 この時代に「鉄道」?って思う人に、むしろ、その考えこそ、時代遅れと思わせる計画を立てる。
 町は、鉄道の駅に沿って、コンパクトに作り、地域住民の移住のインセンティブを与える。
 町作りは、市町村、県といった自治体と地域とが一緒になり考え、作る。
 町は高台に作り、海で働く人(だけ)は、自動車を使う。
 普段は、コンパクトな町で、必要なときは電車で移動で生活する。
(必要なら県の中心都市「盛岡」との線路も直し、電化するとか、それこそ、ミニ新幹線とかにする。)
 これにより、人口の多いところ(東京、仙台)の人が来やすくなり、自然を生かした観光が成り立つようにする。
 あと、自然エネルギーとか電気を作る仕組みを海側につくるとか特徴ある町作りにする…
 そして、この津波を後世に伝えるためのミュージアムの建設(これは、県に1つだけでよい)し、見学コースを修学旅行に取り入れてもらう。

 「三陸道」つまり「高速道路」の建設はすすめるとしても、「高速道路」だけでは、過疎地では、人口減につながるのは、周知の事実だから、政府が、道路だけを考えているとすれば、それだけをもってくるのは止めて欲しい…
 それこそ、「後藤新平」は「基準軌」を全国にしいて、弾丸鉄道を造ろうとした人物なので、復興政策として、それを実行するのはいかがでしょうか?

 って、ことを考えた予定では、被災地に行くはずだったが、計画流れの日曜日です。
 3月28日
  昨日は、「後藤新平」にはまりまして…
 水沢まで行って「後藤新平記念館」まで参りましたが、閉まっておりました。
 さすがの「後藤新平」もこの地震には勝てなかったようです。
 5月1日
 今日は、雨で練習試合はなし。天気予報は、全く当たりません…
 室内で練習とのことでしたので、そちらは、お任せしまして…
 さすがに、昨日の旅は疲れて…若くない…

 しかし、何かはしていたいと思いまして…水沢方面へ…
 本来、昨日、用を足す予定が、沿岸を北上という暴挙に出てしまい…仕切り直し…
 イオンの産直で、米がそろそろ切れてくるので買ったり…
 と、ついでだから連休中に東京から車で来る妹と両親にもお土産にお米を買ってみたりと…
 あとは、水沢…ヤマダ電機で、ワインを買ったり…しかし、疲れているのでとりあえず、早く帰りたい…

 でも、途中で昨日被災地からの興奮やまず、「後藤新平記念館」に行きたいなと思って、
 途中の町中の道の駅で、カーナビをセットしようと…
 でも、店も見てみたいと寄ってみると、火鉢の五徳を見つけて…
 そういえば、何年も前に欲しいと言われ、実家に火鉢を新潟で買ってきたものの、その後、五徳がないということで、使ってもいないなぁ…
 火鉢を買って帰った人としては、どうにか使って欲しいし…でも、サイズも分からず…
 実家に電話して、サイズ確認。即、店の人に、サイズを測ってもらおうというするも日曜で人も多く…
 結局、とりあえず、サイズ的に、かつて買った、火鉢に収まるので買ってきました。5千250円也。

 期せずして本日の目的地になった「後藤新平」記念館。赤いポストが迎えてくれました。
 入場料200円とは、実にお得です。内容も充実していました。
 今度の震災の復興委員とかやる人には、少なくとも、や、最低限、ここは訪れて欲しいです。いや、訪れるべきです。帝都復興を勉強せずに、阪神大震災だけで、どうこうは言って欲しくないと思いました。
 これは、後で、 "mixi" にぎっちり書くとして…
 相当、良い勉強になりまいた。改めて、復興には、三陸新幹線を作るべきだと思いました。

 まぁ、結局、疲れてしまったものの、連休中にやりたいことをやることも大事だと思う
 明日は学校の日曜日です。
     
後藤新平記念館 同入り口  入り口の赤いポスト
 5月6日
 昨日は、江戸東京博物館に参りました。http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
 ボランティアガイドさんについてもらって、ぎっちりとお話を聞いて、回って参りました話は昨日、書きました。

 で、最後にボランティアガイドさんが見せてくれたのが、両国の積み重なった地層の復元模型。
 下町の地層には、今までの東京が背負ってきた歴史がそのまま、タイムカプセルのように詰まっており…

 子供が亡くなったお墓の後に、上水の跡、江戸の大火の跡、
 近代に入って、関東大震災のがれきの跡、東京大空襲の焼け跡…
 地層が4mほどなのですが、ぞれが綺麗に重なっておりました。
 それを見ると、東京って、江戸時代以来は、度重なる災害の後の復興の町であったと思わされました。
 幾多のがれきの町が横たわったのでしょうか…
 それを乗り越えて、現在の繁栄があるのだなぁと思わずにはいられませんでした。
 今後、日本や東北、東日本がどうなるか分かりませんが、見た地層のようにどんなことがあっても
 さらに這い上がって、さらに高く地層を作り、新しい繁栄をしていくことを夢見たいと思いました。

 明日からの土日でゴールデンウィークを終わりますねの今日は、研修会の金曜日です 
 5月8日
  
 平泉が世界文化遺産の登録の内定をもらいまして、岩手県人としては、とても喜ばしい話です。
 何よりも、私は日本で一番北に文化遺産があるということが誇らしく思います。
 これを作った奥州藤原家も、こんな蝦夷が住んでいると言われた奥地に何とか文化を創り、
 世界にこの地のすばらしさを広げたいと願い、あの高台に黄金の金色堂を建てたと考えられておりますので、それがこの時代になって本当に実ったといえるでしょう…
 
 今日の朝日新聞の三面の記事では、岩手県の達増知事の「震災復興の象徴」にとのコメントを載せておりましたが…
 そのコメントでは、「戦乱時代から復興の中心であった」と述べられております。
 この表現では、どこまでの話か分かりませんので、歴史をしっかり捉えてみまでしょう。

 そもそも、奥州藤原氏は、三代の繁栄の後には滅ぼされ、当然、町も焼かれ…
 鎌倉時代には、復興しては廃れを繰り返し、それが中世に続き…
 江戸時代に伊達氏によって復興され、かの松尾芭蕉が訪れたことでも有名ですよね…
 明治に入っても何とか持ちこたえものの…
ここまでは、中尊寺のHPにあり→ http://www.chusonji.or.jp/index.html
 戦後は、かなり厳しい時代を迎えまして、
 私の記憶が確かなら、住職が中尊寺を国宝にし、ボロボロになった金色堂を造り直すまでをあつかったNHKのあの「プロジェクトX」ができるくらいのドラマがあったくらい衰退し…
 現在の姿を残しているのは、そのような衰退と復興を繰り返しながら…
 現代まで、そういった苦労をしながらあの中尊寺があるということを言わないとなりません。

 私は、両国の江戸東京博物館の地層模型の話を2日前に載せておきましたが…
 中尊寺の歴史は、それと同じく、荒廃しては立て直しを繰り返してきたことを思うと
 単に世界遺産登録されたというだけでなく、もう一度、現代まで残るそれまでの歴史を語り、
 今回の震災の復興シンボルとしていく必要があると思います。

 あとは、小笠原の村長さんが、一緒に世界遺産登録内定になって良かったの一言も心が打たれましたねの日曜、朝の朝刊より 
  2011/05/16 (Mon)
 今日は、体育祭の代休日。クラブに出て、お日様拝んで…
 あと、体育祭の時に、委員会で集めた「東日本大震災義捐金」を赤十字社に振り込みに、学校の近所の郵便局に、学校から歩いて参りまして…
 小銭が多くて、重いので、バックに入れて…
 そして、郵便局でちゃんと、お金の方を集計してもらいました。募金タイム数十分で、5万円超…
 関心の深さが思われますし、やはり、地域性もあるのでしょうね…すごい…
 来週は、小学校でも募金すると言っておられました…
 私自身もこのような形ではありますが、少しは、役に立つことができ良かったと思います。
 (後略) 
 2011/05/29 (Sun)
  (前略)
 今日は、世界遺産内定の町の山の上の球場。
 山の上の球場は、近くに「古舘」って地名があるので、ここは、中世の城跡(正確には舘跡)だろうね…
 って、考え出したら、やっぱり、平泉に来たので、周りが気になり…

 帰り、この球場の近場の「白鳥舘」跡に寄ってみて…
 「舘」族には、たまらないネーミングなのですよ…

 よっしゃ、「平泉」世界遺産内定記念だぁ、今度来るときには、もっと人も多いだろう、今のうちにと…
 「毛越寺」、となりの「観自在王院跡」、そこからほど近い「柳之御所跡」+資料館、「無量光院跡」、「高館義経堂」と、とりえず、ぐるりと回ってきました。
 今日は、天気が悪く、人も少なく、雨の「毛越寺」の池も悪くないですよ…

 おぉ、これで、一昨年、友人が来たときに「中尊寺」に連れて行ったので、これで、最近のところで、平泉の世界遺産関係で行っていないのは、「金鶏山」だけになりました。
 なお、「達谷窟毘沙門堂」も「長者ヶ原廃寺跡」も行ったことありますし、「骨寺村荘園遺跡」辺りは、例の大地震前は、あの奥の温泉に年間に1度は行っていたしね…
 現在の排除組もしっかりおさえております。
 とりあえず、社会科教師としては、これで、「金鶏山」以外は全部行き方も分かるという合格点です。
 いつか「金鶏山」は、天気の良い日にでも…
 
 なんていうことで、超疲れた日曜日になりました。
 追伸…6月26日に平泉は、正式に「世界遺産登録」となりました。
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